ブロックチェーン上のデータ活用を加速するインデックス技術:The Graphの仕組みと役割
はじめに:ブロックチェーンデータの取得における課題
ブロックチェーン技術は、非中央集権的で改ざんが困難なデータ構造を提供しますが、その上に構築される分散型アプリケーション(dApps)にとって、必要なデータを効率的に取得することは容易ではありません。特に、スマートコントラクトの特定のイベント発生履歴を検索したり、複雑な条件でフィルタリングしたり、複数のデータを集計したりするような操作は、ブロックチェーンのネイティブなデータ構造やRPCインターフェースだけでは非効率になることが多くあります。
一般的なWebアプリケーション開発に慣れているエンジニアの方であれば、データベースに対してSQLのようなクエリ言語を用いて柔軟にデータを取得することに慣れていることでしょう。しかし、ブロックチェーンはトランザクションの連続としてデータを格納しており、特定の「状態」や「イベント履歴」を効率的にクエリするための仕組みがネイティブには備わっていません。フルノードのRPCエンドポイントを通じてデータを取得することは可能ですが、大量のブロックをスキャンしたり、複雑なリレーションシップを持つデータを取得したりする場合には、パフォーマンスの問題や開発の複雑さが課題となります。
このような背景から、ブロックチェーン上のデータをアプリケーションが必要とする形式に加工し、効率的にクエリ可能にするための「インデックス技術」が登場しました。本記事では、このブロックチェーンデータのインデックス技術の概念と、代表的な技術であるThe Graphの仕組みについて解説します。
なぜブロックチェーンデータのインデックスが必要なのか
ブロックチェーンは、追加専用(append-only)の分散型台帳であり、データはブロックとしてチェーン状に連結されていきます。スマートコントラクトの状態やトランザクションデータはブロックチェーンに記録されますが、これは一般的なリレーショナルデータベースのように、特定の条件で高速にレコードを検索したり、異なるテーブルを結合したりすることを目的とした構造ではありません。
一般的なブロックチェーンノードが提供するRPC(Remote Procedure Call)インターフェースは、以下のような操作に適しています。
- 特定のブロック番号やトランザクションハッシュによるデータ取得
- 特定のアドレスの現在のアカウント残高やスマートコントラクトの状態変数の取得
- 特定のスマートコントラクト関数の呼び出し(読み取り専用)
しかし、以下のような、多くのdAppsが必要とする操作には適していません。
- 過去に行われた特定のスマートコントラクトイベント(例: トークン転送イベント)の全履歴を取得し、送信者や受信者でフィルタリングする
- あるユーザーが過去に実行した全てのトランザクションを、種類別に集計する
- 複数のスマートコントラクトの状態を組み合わせて複雑な条件で検索する
これらの操作をRPCだけで実現しようとすると、アプリケーション側で大量のブロックを一つずつ取得し、その中のトランザクションやイベントを解析・フィルタリング・集計するといった処理が必要になります。これは非常に時間とリソースを消費し、dAppsのパフォーマンス低下や開発の複雑化を招きます。
ここでインデックス技術が必要になります。ブロックチェーンのデータをオフチェーンで継続的に監視し、アプリケーションがクエリしやすいように構造化されたデータストア(データベース)に保存することで、これらの課題を解決します。
ブロックチェーンデータのインデックス技術の基本概念
ブロックチェーンデータのインデックス技術は、基本的に以下のステップで構成されます。
- データソースの監視: 特定のブロックチェーン(例: Ethereum)上の、特定のスマートコントラクトやトランザクションイベントを継続的に監視します。
- データの抽出と変換: 監視によって検出されたブロックチェーンデータを取得し、アプリケーションが必要とするデータモデルに合わせて抽出・変換します。例えば、トークン転送イベントから
from
,to
,value
,timestamp
などの情報を抽出します。 - データの格納: 変換されたデータを、検索に適したデータベース(多くはリレーショナルデータベースやグラフデータベースなど)に格納します。このデータベースはブロックチェーンとは別に管理されます。
- クエリインターフェースの提供: 構築されたデータベースに対して、アプリケーションが効率的にデータをクエリするためのAPI(多くはGraphQLエンドポイント)を提供します。
このプロセスを自動化し、開発者が簡単にインデックスを作成・利用できるようにするためのフレームワークやプロトコルが提供されています。その代表例がThe Graphです。
The Graphの仕組みと構成要素
The Graphは、ブロックチェーン上のデータをインデックス化し、GraphQLを用いて簡単にクエリできる分散型プロトコルです。dApps開発者は、ブロックチェーンの複雑なデータを直接扱う代わりに、The Graphが提供するGraphQLエンドポイントを利用することで、効率的にデータアクセスを実現できます。
The Graphの中心的な概念は「サブグラフ(Subgraph)」です。サブグラフは、特定のブロックチェーンからのデータをどのようにインデックス化するかを定義したオープンソースのAPIです。サブグラフは以下の主要なファイルで構成されます。
- Manifest (manifest): YAML形式の設定ファイルで、どのブロックチェーンネットワーク(例: mainnet, Ropsten)、どのスマートコントラクトのアドレス、どのイベントを監視するか、そしてインデックス化するデータの開始ブロックなどを定義します。
- Schema (schema.graphql): GraphQLスキーマ定義ファイルで、インデックス化されたデータの構造(エンティティ、フィールド、リレーションシップ)を定義します。アプリケーションはこのスキーマに基づいてデータをクエリします。
- Mapping (mapping.ts/wasm): AssemblyScriptで記述されたコードで、監視対象のブロックチェーンイベントが発生した際に実行されます。このコードは、イベントデータを受け取り、GraphQLスキーマで定義されたエンティティにデータをマッピングし、Graph Nodeが管理するデータベースに保存するロジックを含みます。
これらのファイルを定義し、Graph Nodeと呼ばれるインデックス作成エンジンにデプロイすることで、サブグラフが実行されます。
The Graphの技術的構成要素
The Graphエコシステムは、主に以下の要素で構成されます。
- Graph Node: ブロックチェーンを継続的に監視し、サブグラフのマッピングコードを実行してブロックチェーンデータをインデックス化し、Graphデータベースに格納するコアコンポーネントです。
- Graph Explorer: デプロイされたサブグラフを検索し、GraphQLクエリを実行してデータを取得するためのWebインターフェースです。公開されているサブグラフや自身のサブグラフのテストに利用できます。
- Graph Network: The Graphプロトコルを分散化するための経済的レイヤーです。インデクサー(Indexer: Graph Nodeを運用しデータをインデックス化するオペレーター)、キュレーター(Curator: 価値のあるサブグラフを見つけてシグナルを送るユーザー)、デリゲーター(Delegator: インデクサーにGRTトークンをデリゲートするユーザー)といった参加者と、プロトコル内で使用されるGRTトークンから構成されます。これにより、特定のエンティティに依存しない分散型のインデックスサービスが実現されます。
データフローのイメージ
- 開発者が特定のスマートコントラクトのデータをインデックス化するためのサブグラフ定義(Manifest, Schema, Mapping)を作成します。
- 開発者がGraph Nodeにサブグラフをデプロイします。
- Graph NodeはManifestに従ってブロックチェーンの該当イベントを監視し、過去のブロックからデータをさかのぼって処理を開始します。
- 新しいブロックが生成され、監視対象のイベントが含まれている場合、Graph Nodeはそのイベントデータを取得し、Mappingコードを実行します。
- Mappingコードはイベントデータを解析し、定義されたエンティティオブジェクトを作成または更新し、Graph Nodeが管理するGraphデータベースに保存します。
- このプロセスが継続され、ブロックチェーンのデータがデータベースに蓄積・更新されていきます。
- dAppsなどのアプリケーションは、Graph ExplorerやGraph Networkのゲートウェイを通じて、GraphQLクエリを発行し、Graphデータベースに格納された構造化されたデータを効率的に取得します。
# GraphQLクエリ例:特定のERC-20トークンの最新10件のTransferイベントを取得
query GetLatestTransfers {
transfers(
orderBy: blockTimestamp,
orderDirection: desc,
first: 10
) {
id
from
to
value
blockTimestamp
transactionHash
}
}
上記のようなクエリにより、複雑なフィルタリングやソート、ページネーションが容易に実現できます。これは、RPCで同じデータを取得・処理するよりもはるかに効率的です。
The Graphの利点と考慮事項
The Graphのようなインデックス技術を利用することには、いくつかの技術的な利点があります。
- データアクセスの効率化: 複雑なクエリや履歴データの取得が、GraphQLという使い慣れたクエリ言語で高速に行えるようになります。
- dApps開発の簡素化: ブロックチェーンノードとの直接的な低レベルなやり取りや、クライアント側でのデータ処理の負荷を軽減できます。
- 柔軟なデータモデル: アプリケーションの要件に合わせて、インデックス化するデータの構造を自由に定義できます。
- 分散化の可能性: The Graph Networkのようなプロトコルは、中央集権的なサービスに依存しない分散型のデータインデックスサービスを提供することを目指しています。
一方で、考慮すべき点もあります。
- リアルタイム性のラグ: インデックス作成にはブロックチェーンのファイナリティ(確定)を待つ必要があるため、データがインデックスに反映されるまでに多少のラグが発生する可能性があります。完全にリアルタイムのデータを扱う場合は、RPCやイベントリスナーとの併用が必要になる場合があります。
- インフラストラクチャの依存: 誰かがGraph Nodeを運用し、データベースを管理する必要があります。Graph Networkはその分散化を目指していますが、利用者は誰がどのようにデータをインデックス化しているかを理解することが重要です。
- コスト: インデックス作成やクエリの実行には、リソースに応じたコスト(The Graph Networkの場合はGRTトークンでの支払い)が発生します。
既存技術との比較
ブロックチェーンデータのインデックス技術は、従来のWeb開発におけるデータベースのインデックスやデータウェアハウス、ETL(Extract, Transform, Load)プロセスと比較することができます。
- データベースインデックス: リレーショナルデータベースにおけるインデックスは、特定のカラムに対する検索やソートのパフォーマンスを向上させますが、データの永続的な構造そのものは変更しません。ブロックチェーンインデックスは、ブロックチェーン上の生データを読み取り、まったく新しい構造(GraphQLスキーマに基づくエンティティ)を持つデータベースに格納するという点で異なります。
- データウェアハウス/ETL: 複数のデータソースからデータを抽出し、変換・統合して分析しやすい形式で保存するという点では類似しています。しかし、ブロックチェーンインデックスはリアルタイムに近い監視と、主にアプリケーションからの効率的なクエリを目的としています。
ブロックチェーンインデックス技術は、ブロックチェーンの特性(追加専用、イミュータブル、イベント駆動)に合わせて設計された、分散型システムのデータ活用レイヤーと言えます。
まとめと次のステップ
本記事では、ブロックチェーン上のデータを効率的に取得・活用するために不可欠なインデックス技術の必要性、基本的な仕組み、そして代表的な技術であるThe Graphについて解説しました。Webエンジニアの皆さんにとって、ブロックチェーンデータは馴染みの薄い構造かもしれませんが、The Graphのようなツールを利用することで、使い慣れたGraphQLを用いて、より簡単にブロックチェーンデータにアクセスし、dApps開発を進めることが可能になります。
次のステップとして、実際にThe Graphの公式ドキュメントを参照し、簡単なサブグラフを開発・デプロイしてみることをお勧めします。特に、ご自身の興味のある既存のスマートコントラクト(例: よく知られたERC-20トークンコントラクト)のイベントを監視するサブグラフを作成してみると、理解が深まるでしょう。また、The Graph Networkの分散化された仕組みについても学習を進めることで、よりブロックチェーンらしい非中央集権的なデータインフラへの理解が得られます。