ブロックチェーンにおけるハッシュ関数と公開鍵暗号の技術:SHA-256, Secp256k1とその役割
はじめに
ブロックチェーン技術は、その分散性、透明性、そして改ざん耐性といった特性から、多くの分野で注目を集めています。これらの革新的な特性は、特定の基盤技術によって支えられています。その中でも特に重要で、ブロックチェーンの信頼性を担保する核となるのが、暗号技術です。
ブロックチェーンにおいては、主に「ハッシュ関数」と「公開鍵暗号(および電子署名)」という二つの暗号技術が不可欠な役割を果たしています。これらの技術がどのように機能し、そしてブロックチェーンの各要素(ブロック、トランザクション、アドレスなど)にどのように応用されているかを理解することは、ブロックチェーンの仕組みを深く学ぶ上で非常に重要です。
本記事では、ブロックチェーンで頻繁に使用される代表的なハッシュ関数であるSHA-256と、公開鍵暗号方式である楕円曲線暗号の一種Secp256k1に焦点を当て、それぞれの技術的な仕組みと、ブロックチェーンにおける具体的な役割について技術的な視点から解説します。これらの技術が組み合わさることで、どのようにして非中央集権的な信頼システムが構築されているのかを、一緒に見ていきましょう。
ハッシュ関数:データの指紋
ハッシュ関数は、任意の長さの入力データを受け取り、固定長の短いデータ(ハッシュ値、またはダイジェスト)を出力する関数です。ブロックチェーンにおいて、ハッシュ関数はデータの完全性を検証し、ブロックチェーンのリンク構造を構築する上で中心的な役割を担います。
ハッシュ関数の基本的な性質
理想的なハッシュ関数は、以下の重要な性質を備えています。
- 一方向性 (One-way function): ハッシュ値から元の入力データを計算することが計算量的に非常に困難であること。
- 衝突耐性 (Collision resistance): 異なる二つの入力データに対して、同じハッシュ値が出力されるペアを見つけることが計算量的に非常に困難であること。強い衝突耐性(Second pre-image resistance)と弱い衝突耐性(Collision resistance)がありますが、ブロックチェーンでは主に弱い衝突耐性が重要になります。
- 高速性: 入力データに対するハッシュ値の計算が比較的短時間で行えること。
- 雪崩効果 (Avalanche effect): 入力データをわずかに(ビット単位で)変更しただけでも、ハッシュ値が大きく変化すること。
SHA-256:ブロックチェーンで使われる代表的なハッシュ関数
SHA-256(Secure Hash Algorithm 256-bit)は、アメリカ国家安全保障局(NSA)によって設計された暗号学的ハッシュ関数SHA-2ファミリーの一つです。多くのブロックチェーン(ビットコイン、イーサリアムなど)で広く利用されています。SHA-256は、いかなるサイズの入力に対しても、256ビット(32バイト)の固定長のハッシュ値を出力します。
例えば、入力として文字列 "Hello, world!" を与えた場合、SHA-256のハッシュ値は以下のようになります。
入力: "Hello, world!"
SHA-256ハッシュ値: ca978112ca1bbdcafac231b39a23dc4da786eff8147c4e72b9807785a00ac_b_e_a
入力の「Hello, world!」の末尾にピリオド「.」を追加するだけで、ハッシュ値は全く異なるものになります。
入力: "Hello, world!."
SHA-256ハッシュ値: e0a352dd9cd623340674a7f8b99f374d1c0876941368a6b0d16b840f26e64e5e
このように、わずかな入力の変化がハッシュ値に劇的な変化をもたらすのが雪崩効果です。
ブロックチェーンにおけるSHA-256の役割
SHA-256は、ブロックチェーンの以下の要素で重要な役割を果たしています。
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ブロックヘッダーのハッシュ化: 各ブロックのヘッダーに含まれる情報(前ブロックのハッシュ、タイムスタンプ、ナンス、トランザクションのMerkle Rootなど)を結合してSHA-256でハッシュ化し、そのブロック固有のハッシュ値とします。このハッシュ値が次のブロックのヘッダーに含まれることで、ブロックがチェーンとして連結されます。
// イメージ(疑似コード) block_header = { "previous_block_hash": "...", "merkle_root": "...", "timestamp": ..., "nonce": ..., // 他のデータ } current_block_hash = sha256(block_headerの内容をバイト列にしたもの)
これにより、過去のブロックの内容が少しでも変更されると、そのブロックのハッシュ値が変わり、以降のすべてのブロックのハッシュ値が連鎖的に変わってしまうため、改ざんが極めて困難になります。 -
トランザクションIDの生成: 各トランザクションの内容(送信元、送信先、金額など)をハッシュ化して、そのトランザクションを一意に識別するIDとします。
// イメージ(疑似コード) transaction_data = { "sender": "...", "recipient": "...", "amount": ..., "signature": "...", // 他のデータ } transaction_id = sha256(sha256(transaction_dataの内容をバイト列にしたもの)) // ビットコインではdouble SHA-256
これにより、トランザクションの改ざんも検出できるようになります。 -
Merkle Treeの構築: ブロックに含まれる多数のトランザクションを効率的に検証するために、Merkle Tree(ハッシュ木)という構造が使われます。これは、トランザクションのハッシュ値をペアごとに結合してハッシュ化することを繰り返すツリー構造です。最終的に得られる単一のハッシュ値(Merkle Root)がブロックヘッダーに含まれます。Merkle Rootを使うことで、ブロック全体をダウンロードしなくても、特定のトランザクションがそのブロックに含まれているかを効率的に検証できます。ここでもSHA-256がハッシュ計算に利用されます。
ハッシュ関数、特にSHA-256は、ブロックチェーンのデータ構造の整合性と不変性を技術的に保証するための基礎となっています。
公開鍵暗号と電子署名:所有権の証明と検証
ブロックチェーンにおけるもう一つの重要な暗号技術は、公開鍵暗号システムに基づいた電子署名です。これは、特定の秘密鍵の所有者だけが生成できる署名を使って、トランザクションが正当な所有者によって承認されたものであることを証明し、その署名を誰でも公開鍵を使って検証できる仕組みです。
公開鍵暗号の基本
公開鍵暗号システムでは、互いに関連付けられた「秘密鍵 (Private Key)」と「公開鍵 (Public Key)」のペアを使用します。
- 秘密鍵: 所有者だけが知っている秘密の情報です。ブロックチェーンの世界では、資産へのアクセス権(所有権)を実質的に証明するものです。
- 公開鍵: 秘密鍵から数学的に導出される情報で、誰にでも公開できます。秘密鍵で生成された署名を検証したり、秘密鍵で復号できるデータを暗号化したりするために使用されます。
重要な性質は以下の通りです。
- 秘密鍵から公開鍵を容易に生成できる。
- 公開鍵から秘密鍵を計算することは、計算量的に非常に困難である(事実上不可能)。
- ある秘密鍵で生成した署名は、対応する公開鍵でのみ検証可能である。
Secp256k1:ブロックチェーンで使われる代表的な楕円曲線
多くのブロックチェーン(ビットコイン、イーサリアムなど)では、公開鍵暗号の具体的な実装として、Secp256k1という特定のパラメータを持つ楕円曲線暗号(ECC: Elliptic Curve Cryptography)が使用されています。ECCは、RSAのような他の公開鍵暗号方式と比較して、同じレベルのセキュリティ強度をより短い鍵長で実現できるため、効率的です。
Secp256k1では、ある楕円曲線上の「生成点 (Generator Point)」Gと秘密鍵k(大きな整数)を用いて、公開鍵Pを P = k * G
という楕円曲線上の点として計算します。ここで *
は楕円曲線上のスカラー倍算という演算です。この k * G
から k
を計算することは、離散対数問題として知られる非常に難しい問題に帰着するため、公開鍵から秘密鍵を導出することは困難です。
電子署名の仕組み
トランザクションの正当性を証明するために、電子署名が使用されます。一般的な電子署名のプロセスは以下の通りです。
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署名生成: トランザクションデータ(またはそのハッシュ値)と秘密鍵を入力として、署名アルゴリズムによって署名(通常は二つの数値r, sのペア)が生成されます。Secp256k1に基づく電子署名アルゴリズムとしては、ECDSA(Elliptic Curve Digital Signature Algorithm)が代表的です。
// イメージ(疑似コード) transaction_hash = sha256(transaction_data) private_key = ... // 秘密鍵 signature = generate_ecdsa_signature(transaction_hash, private_key) // (r, s) のペアなど
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署名検証: 署名、元のトランザクションデータ(またはそのハッシュ値)、そして署名者の公開鍵を入力として、検証アルゴリズムによって署名が正当であるかどうかが検証されます。署名が正当であれば「True」、そうでなければ「False」が出力されます。
// イメージ(疑似コード) transaction_hash = sha256(transaction_data) public_key = ... // 対応する公開鍵 signature = ... // 受け取った署名 is_valid = verify_ecdsa_signature(transaction_hash, signature, public_key) // True または False
検証アルゴリズムは、公開鍵と署名から計算される値が、トランザクションデータのハッシュ値から数学的に導出される値と一致するかを確認します。秘密鍵を知らなくても検証は可能です。
ブロックチェーンにおけるSecp256k1と電子署名の役割
Secp256k1に基づく電子署名技術は、ブロックチェーンの以下の側面で不可欠です。
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アドレス生成: ユーザーのブロックチェーン上の「アドレス」は、通常、公開鍵をハッシュ関数(例: SHA-256とRIPEMD-160の組み合わせ)に通すことで生成されます。これにより、公開鍵そのものよりも短いアドレスが得られ、プライバシーの向上や入力ミスの軽減に役立ちます。
// イメージ(疑似コード) private_key = generate_random_number(...) public_key = generate_secp256k1_public_key(private_key) // 楕円曲線上の点 public_key_hash = ripemd160(sha256(public_key)) address = add_version_and_checksum_and_encode(public_key_hash) // 例: Base58Checkエンコード
秘密鍵を知っている者だけが、その秘密鍵に対応する公開鍵とアドレスを生成できます。そして、そのアドレス宛に送られた資産を使う(トランザクションを生成する)ためには、対応する秘密鍵による署名が必要です。 -
トランザクション承認: ユーザーが資産を移動させるトランザクションを作成する際、そのトランザクションデータに対して自分の秘密鍵で電子署名を行います。この署名はトランザクションの一部としてネットワークに送信されます。 ``` // イメージ(疑似コード) transaction_details = { "from": my_address, "to": recipient_address, "amount": ... } // 実際にはトランザクションの詳細を構造化し、ハッシュ化して署名することが多い transaction_data_for_signing = hash(transaction_details) private_key = get_my_private_key() signature = generate_ecdsa_signature(transaction_data_for_signing, private_key)
signed_transaction = { "details": transaction_details, "public_key": my_public_key, // またはアドレスを検証するために必要に応じて "signature": signature } ``` この署名があることで、「このトランザクションはこの秘密鍵の所有者(つまりアドレスの所有者)によって承認されたものである」ことが数学的に証明されます。
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トランザクション検証: ブロックチェーンネットワーク上のノードは、受信したトランザクションに含まれる署名と公開鍵を使って、その署名が正当なものであるかを検証します。 ``` // イメージ(疑似コード) received_transaction = ... // ネットワークから受信 transaction_data_for_verification = hash(received_transaction.details) public_key_from_transaction = received_transaction.public_key // またはアドレスから導出/確認 signature_from_transaction = received_transaction.signature
is_valid_signature = verify_ecdsa_signature(transaction_data_for_verification, signature_from_transaction, public_key_from_transaction)
if is_valid_signature: // トランザクションは有効として処理を続ける else: // トランザクションは無効として破棄 ``` 秘密鍵を知らない第三者でも、公開鍵と署名を使ってトランザクションの正当性を検証できるため、中央機関を必要とせずに信頼性を確保できます。これは、ブロックチェーンの非中央集権性において極めて重要な機能です。
ハッシュ関数と公開鍵暗号/電子署名の連携
ブロックチェーンの堅牢性は、ハッシュ関数と公開鍵暗号/電子署名という二つの暗号技術が組み合わさることで実現されています。
- ハッシュ関数は、データの圧縮、一意な識別、そして改ざん検出を提供し、ブロックチェーンのデータ構造(ブロックの連結、Merkle Tree)の整合性を保ちます。
- 公開鍵暗号と電子署名は、資産の所有権を証明し、トランザクションの正当性を検証するための仕組みを提供します。これにより、中央の認証機関なしに「誰が」「何を」承認したのかを検証できます。
例えば、新しいトランザクションが作成される際、その内容はまずハッシュ化されます。そして、このハッシュ値に対して、送信者の秘密鍵で署名が行われます。ネットワーク上のノードは、このトランザクションを受信すると、含まれている公開鍵と署名、そしてトランザクション内容のハッシュ値を用いて、署名の正当性を検証します。署名が有効であれば、そのトランザクションは正当な所有者によって承認されたものとみなされ、ブロックに取り込まれる候補となります。ブロック自体もまた、すべてのトランザクションをまとめたMerkle Rootを含むブロックヘッダーをハッシュ化することで、チェーンにリンクされます。
これらの技術が組み合わさることで、データの改ざんが行われた場合(ハッシュ値が変わる)や、不正な署名によるトランザクションが作成された場合、ネットワーク上のノードは容易にそれを検出し、無効なデータやトランザクションを排除できます。これにより、ブロックチェーンは高い改ざん耐性と信頼性を実現しているのです。
まとめと次の学習ステップ
本記事では、ブロックチェーン技術の基盤を支える重要な暗号技術、特にSHA-256ハッシュ関数とSecp256k1に基づく公開鍵暗号/電子署名について解説しました。これらの技術が、ブロックチェーンのデータ構造の整合性、トランザクションの正当性、そして非中央集権的な信頼システムをどのように実現しているかをご理解いただけたかと思います。
これらの暗号技術は、ブロックチェーンの他の要素(例:UTXOやアカウントモデルにおける状態管理、コンセンサスアルゴリズムにおける利用など)を理解する上でも前提となります。
次の学習ステップとしては、以下のトピックについて深く学ぶことをお勧めします。
- Merkle Treeの具体的な構築と検証メカニズム: 本記事で触れたMerkle Treeがどのように機能し、Merkle Proofによってどのようにトランザクションの存在証明や検証が行われるのか。
- アドレス生成の詳細な仕組み: 公開鍵から実際にどのようにブロックチェーンアドレスが生成されるのか。様々なチェーンでのアドレス形式の違い(例:ビットコインのBase58Check、bech32、イーサリアムのHexエンコード)。
- トランザクションの構成要素: トランザクションに含まれるデータ構造、特にインプットとアウトプット(UTXOモデル)や、アカウントベースのトランザクション形式の詳細。
- コンセンサスアルゴリズムにおける暗号技術の応用: プルーフ・オブ・ワーク(PoW)におけるハッシュ関数の利用(マイニング)や、プルーフ・オブ・ステーク(PoS)における電子署名の利用(バリデーターの選出と署名)など。
これらの技術を理解することで、ブロックチェーンが単なる分散データベースではなく、暗号学的に保証された信頼性の高い分散システムであることの理解がさらに深まるでしょう。