スマートコントラクトの不変性を乗り越える技術:アップグレード可能な設計パターン
はじめに:スマートコントラクトの不変性と課題
スマートコントラクトは一度ブロックチェーン上にデプロイされると、そのコードを変更することが非常に困難であるという「不変性」の特性を持っています。これはブロックチェーンの信頼性や透明性を支える重要な性質の一つです。例えば、イーサリアムのようなブロックチェーンでは、デプロイされたスマートコントラクトのアドレスに紐づくコードは基本的に変更できません。
この不変性のおかげで、ユーザーはコントラクトの実行結果が予測可能であり、特定の第三者による不正なコード変更のリスクを心配する必要がありません。しかし、現実の開発プロセスにおいては、この不変性が課題となる場合があります。
なぜスマートコントラクトのアップグレードが必要なのか?
プログラム開発において、バグは避けられないものです。スマートコントラクトも例外ではなく、デプロイ後に致命的なバグが発見される可能性があります。金融資産を扱うコントラクトであれば、その影響は計り知れません。また、サービスを継続的に提供していく上で、機能の追加や改善が必要になることもあります。
Webアプリケーションであれば、サーバー上のコードを更新することでこれらの課題に対応できます。しかし、不変なスマートコントラクトでは、デプロイ後にコードを直接修正することはできません。従来の不変なコントラクトの場合、これらの課題に対応するには、新たなコントラクトをデプロイし、ユーザーや関連するシステムに新しいコントラクトアドレスへの移行を促すという、非常に手間のかかる、そしてユーザー体験を損なう作業が必要になります。場合によっては、旧コントラクトにロックされた資産の移行なども考慮しなければなりません。
このような背景から、「不変性」というブロックチェーンの根本的な性質を維持しつつ、デプロイ後のコード変更(アップグレード)を技術的に可能にするための様々な設計パターンが考案されてきました。
アップグレード可能なコントラクトの基本的な考え方
スマートコントラクトの不変性を保ちながらアップグレードを実現するための基本的なアプローチは、ユーザーがやり取りするコントラクト(エントリーポイント)と、実際のロジックを実行するコントラクトを分離するという考え方です。
- エントリーポイントとなるコントラクト: このコントラクトはコード自体はシンプルで不変です。その役割は、ユーザーからの呼び出しを、実際のロジックが書かれた別のコントラクトに「転送」することです。このエントリーポイントとなるコントラクトには、現在有効なロジックコントラクトのアドレスを保持する仕組みが組み込まれています。
- ロジックコントラクト: こちらに実際のアプリケーションロジック(状態の変更、計算など)が記述されています。アップグレードが必要になった場合は、新しいロジックを記述した新たなコントラクトをデプロイし、エントリーポイントとなるコントラクトが参照するロジックコントラクトのアドレスを、新しいアドレスに更新します。
この構造により、ユーザーは常に同じエントリーポイントとなるコントラクトアドレスを通じてサービスを利用できますが、その裏側で実行されるロジックは最新のものに切り替わっている、という状態を作り出します。
技術的アプローチ:Proxyパターン
上記で述べた基本的な考え方を実装するための最も一般的な技術的アプローチがProxyパターンです。Proxyパターンは、スマートコントラクト開発で広く採用されており、特にERC-20やERC-721といったトークンのアップグレード可能な実装によく利用されています。
Proxyパターンとは?
Proxyパターンでは、主に以下の3つの要素が登場します。
- Proxyコントラクト: これがユーザーや他のコントラクトが最初にやり取りするエントリーポイントです。非常にシンプルで、自身にはほとんどロジックを持ちません。その主な役割は、受け取った関数呼び出しとデータを、実際のロジックを持つImplementation(またはLogic)コントラクトに「委譲(delegate)」することです。Proxyコントラクトは、現在有効なImplementationコントラクトのアドレスを内部に保持しており、管理者によってこのアドレスが更新可能になっています。
- Implementation (Logic) コントラクト: こちらがアプリケーションの実際のロジックが記述されているコントラクトです。アップグレードが必要になった場合は、このImplementationコントラクトの新しいバージョンをデプロイします。
- Client (ユーザー/他のコントラクト): Proxyコントラクトとやり取りを行う主体です。常に同じProxyコントラクトのアドレスを知っていればよく、背後でImplementationコントラクトが切り替わっても意識する必要はありません。
Proxyパターンの仕組み:DELEGATECALL
Proxyパターンの中核となる技術は、イーサリアム仮想マシン(EVM)の特別なオペコードであるDELEGATECALL
です。
通常のコントラクト呼び出し(CALL
)では、呼び出された側のコントラクトのコンテキスト(ストレージやmsg.sender
など)でロジックが実行されます。しかし、DELEGATECALL
を使用すると、呼び出された側のコードが、呼び出し元のコントラクトのコンテキストで実行されます。
ProxyコントラクトがDELEGATECALL
を使ってImplementationコントラクトを呼び出す場合、以下のようになります。
- Implementationコントラクトのコードが実行されます。
- しかし、そのコードはProxyコントラクトのストレージを読み書きします。
msg.sender
やmsg.value
といった情報は、オリジナルの呼び出し元(ユーザー)のものが維持されます。
これにより、ユーザーはProxyコントラクトを呼び出しているにも関わらず、Proxyコントラクトのストレージにデータを保存したり、Proxyコントラクトの残高を操作したりすることが、Implementationコントラクトのロジックを通じて可能になります。そして、Implementationコントラクトのアドレスを別の新しいコントラクトに差し替えることで、Proxyコントラクトのストレージ(状態)を維持したまま、実行されるロジックだけを更新できるのです。
概念的なコードのイメージは以下のようになります。(Solidityの擬似コード)
// Proxyコントラクト (シンプルな例)
contract Proxy {
address currentImplementation; // 現在のロジックコントラクトのアドレス
// アドレスを更新する関数 (管理者のみ実行可能)
function upgradeTo(address newImplementation) public onlyOwner {
currentImplementation = newImplementation;
}
// fallback関数: どの関数が呼び出されてもここに到達
// この関数内でDELEGATECALLを使ってロジックコントラクトに処理を委譲
fallback(bytes calldata data) external payable returns (bytes memory) {
// currentImplementationのアドレスにDELEGATECALLで処理を委譲
// gas, value, data をそのまま渡す
(bool success, bytes memory result) = currentImplementation.delegatecall(data);
// DELEGATECALLの結果を返す
require(success, "DELEGATECALL failed");
return result;
}
// receive関数: Etherを受け取った場合に実行
receive() external payable {
fallback(msg.data);
}
}
// Implementationコントラクト (実際のロジック)
contract MyLogic {
uint256 public value; // Proxyのストレージに保存される
function setValue(uint256 _value) public {
value = _value; // 実際にはProxyのストレージを変更
}
function getValue() public view returns (uint256) {
return value; // 実際にはProxyのストレージを読み込む
}
// 注意: このコントラクト自身はデプロイされるが、直接呼び出されることは想定されていない
// 呼び出しは必ずProxy経由で行われる
}
上記の例では、Proxy
コントラクトはcurrentImplementation
というアドレスを保持し、受け取った全ての呼び出し(fallback
関数)をそのアドレスにDELEGATECALL
しています。MyLogic
コントラクトはsetValue
やgetValue
といった実際のビジネスロジックを持ちますが、DELEGATECALL
によってProxy
コントラクトのvalue
というストレージ変数を操作します。
Proxyパターンの派生
Proxyパターンにはいくつか主要な派生形があり、それぞれストレージ管理や関数の衝突回避といった課題に対するアプローチが異なります。
- Transparent Proxy Pattern: 最も基本的なパターンの1つです。ユーザーからの呼び出しがProxyコントラクトに来たとき、呼び出し元が管理者アドレスかどうかによって、Proxyコントラクト自身の関数を呼び出すか、Implementationコントラクトに委譲するかを切り替えます。これにより、ProxyコントラクトとImplementationコントラクトで同じ関数シグネチャを持っていても衝突しないようにしています。
- UUPS (Universal Upgradeable Proxy Standard) Pattern: Transparent Proxy Patternを改良したもので、アップグレードロジック自体をImplementationコントラクト側に持たせます。Proxyコントラクトはよりシンプルになり、アップグレード処理はImplementationコントラクトの新しいバージョンに委譲されるようになります。よりガス効率が良いとされる場合があります。
どのパターンを採用するかは、プロジェクトの要件やリスク許容度によって決定されます。
Proxyパターン以外のアップグレード手法
Proxyパターン以外にも、アップグレードを実現するためのアイデアはいくつか存在します。
- Registryパターン: 各機能を持つ不変な複数のコントラクトをデプロイしておき、それらのコントラクトアドレスを管理するRegistryコントラクトを用意します。ユーザーはRegistryコントラクトを通じて最新の機能を持つコントラクトアドレスを取得し、直接そのコントラクトを呼び出します。Proxyパターンと異なり、状態の引き継ぎには別途メカニズム(例えば、すべての機能コントラクトが同じ状態コントラクトを参照する)が必要です。
- データ分離パターン: 状態(データ)を保存するコントラクトと、ロジックを持つコントラクトを完全に分離します。ロジックコントラクトは不変で、アップグレードが必要になったら新しいロジックコントラクトをデプロイします。ユーザーは常に最新のロジックコントラクトを呼び出し、データは共通のデータコントラクトから読み書きします。ただし、このパターンもProxyパターンほど一般的ではなく、特定のユースケースに限られることがあります。
これらの手法と比較して、Proxyパターンは既存の状態を維持したままシームレスにロジックだけを切り替えやすいという利点から、最も広く採用されています。
アップグレード可能なコントラクト開発の考慮事項とリスク
アップグレード可能なコントラクトは柔軟性を提供しますが、同時にいくつかの技術的な考慮事項とリスクを伴います。
- 権限管理: 誰が、いつ、どのようにアップグレードを実行できるのか、その権限管理は非常に重要です。管理者権限が悪用されると、悪意のあるコードにアップグレードされてしまうリスクがあります。マルチシグウォレットやDAOによるガバナンスなど、強固なアクセス制御機構を設計する必要があります。
- ストレージ衝突: Implementationコントラクトをアップグレードする際、新しいバージョンと古いバージョンでストレージ変数のレイアウト(順番と型)が異なると、Proxyコントラクトのストレージを正しく解釈できなくなり、データが破損する可能性があります。これはProxyパターンの最も重大な落とし穴の一つであり、開発者はストレージレイアウトの互換性を厳密に管理する必要があります。
- 初期化(Initialization): コンストラクタはデプロイ時に一度だけ実行されますが、ProxyパターンではロジックコントラクトはProxyコントラクトからの
DELEGATECALL
で実行されるため、ロジックコントラクトのコンストラクタはProxyのコンテキストでは実行されません。代わりに、初期化のための通常の関数(例:initialize()
) を別途用意し、デプロイ後に呼び出す必要があります。この初期化関数が複数回呼び出されたり、意図しない第三者から呼び出されたりしないよう、適切なガード(initialized
フラグなど)を設ける必要があります。 - アップグレードプロセスの検証: 新しいImplementationコントラクトがデプロイされ、Proxyがそれを参照する前に、そのコードが安全であること、ストレージの互換性があることなどを十分にテスト・検証する必要があります。
開発ツールとライブラリ
アップグレード可能なコントラクトを安全かつ効率的に開発するために、OpenZeppelinなどの標準的なライブラリがProxyパターンの実装を提供しています。これらのライブラリを使用することで、複雑なProxyロジックやストレージの互換性に関するベストプラクティスを容易に採用できます。OpenZeppelin Contracts Upgradeableライブラリは、Transparent ProxyやUUPSなど、様々なパターンの実装を提供しており、開発者はこれらのライブラリを継承して自身のロジックコントラクトを作成するのが一般的です。
まとめ
スマートコントラクトの不変性はブロックチェーンの信頼性の基盤ですが、バグ修正や機能追加といった開発上の要件から、デプロイ後のアップグレードが必要になることがあります。Proxyパターンをはじめとするアップグレード可能な設計パターンは、DELEGATECALL
のようなEVMの低レベルな仕組みを利用することで、エントリーポイントとなるアドレスを固定したまま、背後で実行されるロジックを切り替える技術を提供します。
しかし、これらのパターンはストレージの互換性や権限管理、初期化処理といった複雑な課題を伴います。安全なアップグレード可能なコントラクトを開発するためには、これらの技術的な詳細を理解し、OpenZeppelinのような信頼できるライブラリを利用し、厳格なテストと検証プロセスを経ることが不可欠です。
ブロックチェーン開発において、アップグレード戦略はプロジェクトの継続性やセキュリティに深く関わる重要な要素です。この技術的な理解を深めることは、より実践的なコントラクト開発へ進むための重要なステップとなるでしょう。